今から21年前の1996年7月1日、数千年の伝統を持つ奇跡の果実ノニを「タヒチアンノニ ジュース」として初めて製品化したモリンダが、アメリカのユタ州で産声を上げました。現在では愛用者の輪が世界70以上の国々に広がりを見せています。
今月はモリンダの誕生をお祝いする特別な月です。モリンダは、フレンチポリネシア(タヒチ)の人々が長い間育んできた自然の恵みを世界中のたくさんの人々の幸せのためにお届けすることを願い、果実を皮ごと熟成発酵させたノニピューレを原料に、昔ながらの、添加物を一切含まない健康食品として世に出すことに成功しました。 タヒチアンノニ ジュースが日本に初めて紹介されたのは1998年11月のことです。翌年2月のモリンダ社正式オープンを控えたプレオープニングのミーティングが、東京虎ノ門のパストラルホテルで開かれました。初代日本支社長となった元アメリカ大使館農務担当公使ブライアント・ワズワースの人脈により、各界から著名なゲストが名を連ねました。 その会場に、モリンダが世界を変えることに大きな期待を抱いていた一人の青年がいました。ブライアント・ワズワースの息子の一人であるジョン・R・ワズワースです。彼の夢は獣医になることでした。でも、大学に入ってたとえ6年かけて獣医の資格を得たとしても、それまでの学費や生活費のローンを返済するのに10年はかかります。そんな時にモリンダ社からノニ(モリンダシトリフォリア)に関する学術論文の調査のアルバイトを依頼されます。時給8ドル(約800円)の仕事でした。また、タヒチを訪れ、シャーマン(祈祷師)から民の健康と命を支えるノニの歴史を学ぶ機会も得ました。 そうした体験を通じてノニの可能性に気付いたジョンは、かつて宣教師として2年間滞在した日本に戻り、ビジネスとしてモリンダに取り組むことを決意します。アメリカと違い人口密度の高い日本は、家を出ればすぐに知らない人と会えるので、ノニについて話をする人をかんたんに見つけられると考えたのです。彼の方法は斬新なものでした。山手線に乗り、隣に座った人に名刺交換を求めたのです。夜になると、集めたたくさんの名刺の宛先に電話を掛け、説明会に誘いました。 結果は、芳しいものではありませんでした。ジョンはその頃をこう振り返ります。「日本では誰かの紹介がないとだめです。そのことを痛いほど知らされました」。しかしその彼がこうも語っています。「確かに思ったような結果は出ませんでした。でも、大切なことに気付いたのです。誰にでも話しかけるという経験を通して自分自身が成長していました。自信がついたと言うか、前の自分と明らかに違うんですよ」 その後の彼の活躍は説明するまでもありません。今ではプエルトリコに居を構え、モリンダのトップリーダーの一人としてまだモリンダについて知らない人々を幸せにするために世界を縦横に駆け巡っています。会社が提供するプログラムにも積極的に取り組み、昨年はモリンダからIPCのみなさまに発行する1回の小切手の最高金額の記録を久々に塗り替えました。彼はまさに「自分が変わり、人が変わり、世界が変わる」という原則を実践したのです。 7月のノニ セレブレーションのゲストとしてIPC主催のミーティングを含め3ヵ所で講演してくださったジョン・R・ワズワースさん。わたしを含め多くの方々が、ジョンさんを通してモリンダの草創期に想いをはせ、決意を新たにしてくださったことと思います。記念に、ジョンさんのタヒチでのとっておきの写真をご紹介しましょう。彼のノニへの愛が伝わるショットです。
by ohkimakoto
| 2017-07-07 17:00
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